“目的地”から“拠点”へ。市原から始まる「滞在型ローカル観光」のススメ

渋谷と千葉の2拠点生活をしておりますが、
実は私は市原市出身です。幼少期の時に父の都合で東京へ転勤。
小学生の大半を光化学スモッグの放送ばかり流れる、東京の下町で過ごしました。
私の通っていた都内の学校は、いい子ちゃんばかりで非行という言葉や、ヤンキーという存在自体架空の描写としか捉えておらず、テレビでしかみたことがありませんでした。
その後市原に戻り、京葉工業地帯の夜景と、駅前でたむろする非行少年たちとはじめて対面することとなりました。
それからというもの、子どもの頃は、市原といえば「工場と族のまち」だと思っていました。
完全に余談でした・・・
さて、千葉県の中ほどに広がる市原市は、東京から最短40分という距離でありながら、里山・アート・農の風景が静かに息づくまちです。ですが、この“アクセスの良さ”が、実は市原観光の課題にもなっています。
それは「通り過ぎられてしまう」ということ。
高滝湖や養老渓谷、小湊鉄道など、魅力的な観光資源が揃っていても、そこに“長く滞在する理由”が設計されていないまま、目的地から次の場所へと移動されてしまう。市原は、立ち寄るには十分魅力的。でも“とどまる”観光地には、まだなれていない。
いま、地域に必要なのは「点」の観光ではなく、「拠点」としての存在感です。
市原市の観光課題:通過型観光からの脱却

市原は、東京湾沿岸の工業エリアから里山の中山間地域までを抱える、変化に富んだ都市です。 ですが、その多様さが観光の“軸”を曖昧にしてきた面も否めません。
- 観光資源が点在し、エリア間連携や移動設計が不十分
- 美術館や渓谷など「目的地」はあるが「過ごす空間」が設計されていない
- 宿泊・滞在インフラや地域体験コンテンツの不足
その結果、市原は“日帰りドライブコース”に組み込まれる場所になってしまっているのです。
地元の人が「通り過ぎるだけで終わるのはもったいない」と感じているこの現状。 実際、私も高校時代は“市原から出たい”と思っていたひとりでした。でも今になって、あの時に見えなかった市原の面白さや温かさに気づかされています。 外からの目線と、地域の人たちの声が重なったとき、持続可能な観光の道筋が見えてくるはずです。
「滞在型観光」の拠点としての市原へ
私が思うこの街は、“観光地としての市原”ではなく、“暮らしの拠点としての市原”です。
- ワーケーションと地域体験を掛け合わせた「農泊ステイ」
- 地元の人と一緒に朝ごはんをつくる「暮らし参加型宿泊」
- 市街地と里山の二拠点滞在を提案する「デュアルローカル」
これらは観光というより「関係人口」創出の入り口。市原が「何かをしに来る場所」ではなく、「何かを続けに来る場所」になるための再設計です。
「虹色こまち」が描くマーケティング設計

私たち「虹色こまち」は、滞在型観光の実現に向けて、地域資源の情報設計・可視化・導線構築をワンストップで支援しています。
▶ SNS・Webによる“滞在動機”の創出
- 例)2024年の市原湖畔「アート×農業体験」特集はInstagramで4.6万リーチをKGI
- 「今だけ」ではなく「何度でも」訪れたくなる連載コンテンツを設計
▶ 滞在モデル設計×MAPコンテンツ制作
- 「1泊2日市原ローカル暮らし体験」モデルコースのWeb記事は1万PV超をKGI
- LINEマップ連携で現地での移動・体験予約も可視化
▶ 加盟事業者との接点強化(年間60件取材)
- MEO支援とショート動画を組み合わせて平均来店率が1.5倍に
- 多言語対応でインバウンドも含めた拡張性を確保
滞在という時間を設計するには、“何を見るか”より“誰と過ごすか”が重要です。 私たちはその“誰”に光を当てるローカルメディアでありたいと考えています。
これからの市原観光は、「滞在」と「対話」がカギになる

観光を“地域消費”ではなく“関係の入口”に変える。
市原には、そのための資源も、空間も、人もそろっています。
あとは、それを“どう見せるか”と“どう続けてもらうか”。 そのための編集・導線設計・発信を、「虹色こまち」は一緒に考えていきます。
市原の観光は、まだ“はじまりの途中”。 でもだからこそ、今から関わる意味がある。
市原といえば、ジェフ市原・千葉だけでなく、インバウンドも呼び込める、滞在型観光ができる街が市原だ!と言われるような仕掛けを作っていかなければなりません。
そして、虹色こまちでは市原・君津内房エリアを、シルクロード構成においてのコードネームをリバー・シルクと名称しています。
単なるおふざけではなく、虹色こまちのアセットを活用したリトリートを実施し、内房エリアの経済、そして地域の人々の幸せな街づくりの 一端を担ってまいります。
虹色こまち編集部 内野 敏樹